お前の狂気はどこにある?

失恋の負のエネルギーから、絶対見返してやるという一心で働きながらこの半年で、起業準備のほとんどが無事にすすみ、来年から始まろうとしています。

起業準備は、ゼロから形を作っていくので、めちゃくちゃ決めることが多い。すごく脳が疲れる感覚があります。

なので恥ずかしい話、今までずっと続けていたインプットの時間もロクに取れず、無事に開業することに脳のリソースが持っていかれており、それをしょうがないか、と思っている自分もいます。

 

ただ、ずっと拭えないのが、

"本当にそんなんでいいんか?"

 

という思いです。

 

当初は悲しみや反骨心がよく燃えて、エネルギーの中心としてここまで自分を動かしてくれた。

今もそれはゼロじゃないけど、薄まっているのも事実。

お客さんや自分の大切な人たちのためにという愛情を力に頑張ろうという気持ちの割合が増えているのも事実。

 

しかし、不満なのは、

火力が弱い。

 

もっともっとギラつきたい。

もっともっと野望も燃やしたい。

変に大人になったような、悟ったよな気持ちになっていたんじゃないか?と自問自答する日々です。

 

人は人のために力が湧くというのもすごくよくわかる。

しかし、もっと狂気をもって命を燃やしたい。そう思う自分がいるのです。

ふわふわと人生の時間をゆっくり楽しむのは、もっと直接的に体が老いてきてからでいいだろう?と。

もっともっともっともっと強くなりたい。

もっともっともっともっと賢くなりたい。

もっと狂えよお前は。と、明日からの自分にビンタかましていきます。

お前の狂気はどこにある?

失恋の負のエネルギーから、絶対見返してやるという一心で働きながらこの半年で、起業準備のほとんどが無事にすすみ、来年から始まろうとしています。

起業準備は、ゼロから形を作っていくので、めちゃくちゃ決めることが多い。すごく脳が疲れる感覚があります。

なので恥ずかしい話、今までずっと続けていたインプットの時間もロクに取れず、無事に開業することに脳のリソースが持っていかれており、それをしょうがないか、と思っている自分もいます。

 

ただ、ずっと拭えないのが、

"本当にそんなんでいいんか?"

 

という思いです。

 

当初は悲しみや反骨心がよく燃えて、エネルギーの中心としてここまで自分を動かしてくれた。

今もそれはゼロじゃないけど、薄まっているのも事実。

お客さんや自分の大切な人たちのためにという愛情を力に頑張ろうという気持ちの割合が増えているのも事実。

 

しかし、不満なのは、

火力が弱い。

 

もっともっとギラつきたい。

もっともっと野望も燃やしたい。

変に大人になったような、悟ったよな気持ちになっていたんじゃないか?と自問自答する日々です。

 

人は人のために力が湧くというのもすごくよくわかる。

しかし、もっと狂気をもって命を燃やしたい。そう思う自分がいるのです。

ふわふわと人生の時間をゆっくり楽しむのは、もっと直接的に体が老いてきてからでいいだろう?と。

もっともっともっともっと強くなりたい。

もっともっともっともっと賢くなりたい。

もっと狂えよお前は。と、明日からの自分にビンタかましていきます。

ご縁のせいにすんな

前回の失恋記事を書いた時から数日たちました。。

 

だんだんと心の波の不安定さは小さくなってきたように感じます。

友達やたくさんの知らない世界の誰かの言葉に救われました。

 

本当にありがとう。

 

僕は月1回、家事代行を頼んでいるのですが、

代行のおばちゃんに失恋の報告をしました。

 

彼女なりに僕を励まそうと言葉をかけてくれたのですが、

よく聞くある言葉を言われて、なんだか心に引っかかっていました。

 

それは、

”こればっかりはご縁だからねぇ”

 

です。

多分普通にスルー出来る人が大半なのかなぁとは理解しています。

 

 

今日、必死に仕事してそのまま明日のごはんの材料を買うためヨークマートに直行して材料を買って帰りました。

そこで通る道は何度も元彼女と通った道で、何度も思い出がよぎりそうになっては消してを繰り返しました。

 

ヘレンケラーは言いました。

”ひとつ幸せのドアが閉じる時、もう一つのドアが開く。しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気づかない。”

 

 

僕はこの愛した彼女を失ったことで何を得たのでしょうか?

 

別れてしまった原因は、彼女が余裕がなくなり、僕に対して感謝ができないことが嫌だといいました。

 

これはタイミング、ご縁のせいでしょうか?

 

違います。

 

僕が未熟だったんだ。

そう思いたい。

そのように感じました。

 

 

僕にもっと余裕を与えてあげるだけの器や仕事の能力、人間性があれば、こんなに苦しい思いをさせなくて済んだのではないか?

 

それがたとえ関係なかったことだったとしても思ったのです。

 

また大切な人ができたとき、もっと愛して守ってあげることができる強い人間になりたい。そう思いました。

なんだかそう捉えることが今の自分を動かす原動力になりそうです。

 

今目の前に与えられた時間を、周りの大切な人、これから守らなければならない大切な人のために、今自分のさらなる成長にフルコミットしたい。

 

そう思うのです。

 

 

 

 

言葉をいつも探している。

約2年付き合っていた彼女に振られて約10日が過ぎました。

 

年明け京都から千葉に戻ってきた初日に言われ、数日間は本当に辛く、

周囲からかなりポジティブだと言われる自分でしたが、

一人で嗚咽しながら号泣するほど、本当に苦しかった。

本当に、もう生きていたくない。それぐらいまで心が抉られていました。

 

この記事を書いている今も、結構しんどいのですが、

少しずつ回復している傾向にはあります。

 

元彼女とは職場も、住む場所も近く、行く先行く先、彼女との思い出が頭をよぎります。

今日は休日で、朝からカフェで読書したりしていたのですが、

帰り道のバイクに乗っているとき、複数の思い出の場所の前を通るたび心臓を締め付けられるような苦しみに襲われました。笑

 

今後どのように回復していくのかはわかりませんが、

この地獄のような約10日間の中で、はっと気づかされたのは、

 

いつも誰かの言葉を探していたことです。

 

失恋 立ち直る 方法

 

こんな検索を何度もかけては、

出血が止まらない心に効きそうな言葉の塗り薬を必死で探していたのです。

 

自分の仕事を通じても感じていたことではありましたが、

 

人を変えるのは、言葉なのかもしれない。

その重要性、言葉の持つとてつもないパワーに、再度驚かされました。

 

たしか、僕の崇拝するカリスマブロガーのDJあおいさんがおっしゃっていたと思うのですが、

言葉を多く知る人は、感情のコントロールが上手い。

そんなことがたしか書かれていました。

 

つらつらと書きましたが、

僕がこの経験から、もしこのブログをたまたま見かける方に伝えたいのは、

 

あなたの放つ言葉が、目の前の誰かを救うかもしれない。

あなたの放つ言葉が、目の前の誰かをずっと苦しめるかもしれない。

 

ということです。

 

どのように振る舞い、どのような顔で、どのような言葉をどのように伝えるのか。

反対に、どんなことは、言わないのか。

 

 

この約10日間、死にそうになりながら生きるために必死に言葉を探しました。

僕を助けたのは、

 

生きているだけで丸儲け。

ないものに目を向けない。あるものを見つめよ。

そんな言葉たちでした。

 

まだしばらく苦しみ続けるでしょうが、

目の前の誰かを幸せにできる人間に僕はなりたい。

そのために自分が放つ言葉により気を付けて、心をこめたいと、そう思います。

 

正直、元彼女のことは今でも深く愛しています。

いますぐにでも会いに行きたい。

ですが、僕がそばにいないことが元彼女にとっての幸せなのです。

だからそれを、絶対に邪魔してはいけない。

それが僕が最後に、尽くすことができる愛情だと思います。

 

いつか笑ってこの記事を読める日が来るといいなあ。