ご縁のせいにすんな
前回の失恋記事を書いた時から数日たちました。。
だんだんと心の波の不安定さは小さくなってきたように感じます。
友達やたくさんの知らない世界の誰かの言葉に救われました。
本当にありがとう。
僕は月1回、家事代行を頼んでいるのですが、
代行のおばちゃんに失恋の報告をしました。
彼女なりに僕を励まそうと言葉をかけてくれたのですが、
よく聞くある言葉を言われて、なんだか心に引っかかっていました。
それは、
”こればっかりはご縁だからねぇ”
です。
多分普通にスルー出来る人が大半なのかなぁとは理解しています。
今日、必死に仕事してそのまま明日のごはんの材料を買うためヨークマートに直行して材料を買って帰りました。
そこで通る道は何度も元彼女と通った道で、何度も思い出がよぎりそうになっては消してを繰り返しました。
ヘレンケラーは言いました。
”ひとつ幸せのドアが閉じる時、もう一つのドアが開く。しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気づかない。”
僕はこの愛した彼女を失ったことで何を得たのでしょうか?
別れてしまった原因は、彼女が余裕がなくなり、僕に対して感謝ができないことが嫌だといいました。
これはタイミング、ご縁のせいでしょうか?
違います。
僕が未熟だったんだ。
そう思いたい。
そのように感じました。
僕にもっと余裕を与えてあげるだけの器や仕事の能力、人間性があれば、こんなに苦しい思いをさせなくて済んだのではないか?
それがたとえ関係なかったことだったとしても思ったのです。
また大切な人ができたとき、もっと愛して守ってあげることができる強い人間になりたい。そう思いました。
なんだかそう捉えることが今の自分を動かす原動力になりそうです。
今目の前に与えられた時間を、周りの大切な人、これから守らなければならない大切な人のために、今自分のさらなる成長にフルコミットしたい。
そう思うのです。